手描き鯉のぼり 五月人形(鎧 兜飾り) 雛人形(ひな人形)、破魔弓 羽子板
創業100年 天皇陛下献上鯉製造元 秩父宮殿下献上人形製造
株式会社 橋本弥喜智商店
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羽子板
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「羽子板の歴史

 羽子板の歴史をひもといていくと やはり中国がルーツなようです。

 中国の14世紀中期硬貨を錘としてつけた羽を蹴る遊びがありました。
これが日本に伝わり羽根つきの起源とされています。時代は室町時代です。
 今から500年ほど前、宮中のことを記録した「看聞御日記」に、はねつきの記録があります。
この記録には公卿や女官が男組女組に分かれ はねつきをし、負けた組が酒を振る舞ったという記録が残されています。
 室町時代になると、「羽根突き用」「贈り物用」と、分かれていき、江戸時代になると現在の原形とも言える歌舞伎役者の顔を押し絵で仕上げた飾り羽子板が登場し人気が高まりました藤娘、汐汲、浅妻、道成寺などの、歌舞伎の踊りの押し絵も、広まりました。

「羽根つきの意味」

正月に羽根をつくことは 無患子(むくろじ)の実に長い竹ひごをさし、鳥の羽をつけ
板でつきあげた遊びの様子から、その羽根の飛ぶ様子が虫を食べるとんぼににていることから お子様が蚊によって、刺されない、患わないというおまじないとしての意味とされています。「無患子」とは まさに 「患わ無い子」と いう意味で無病息災のお守りなのです。

「左義長羽子板」

今日 遺物として残されたものに「左義長羽子板」があります。「左義長」とは 室町時代の記録に、正月の15日に清涼殿の庭に青竹を組み 書き初め 短冊 扇子などを結び 陰陽師がこれに火を付け囃子踊ったという記録があり、この儀式を「左義長」といいます。

これが民間に伝わり 書き初めや注連飾りを一緒に焼き「どんどん焼き」として
厄払いの信仰となり今日に伝えられています。

「羽子板市

「市」とは 神社仏閣の縁日の日、参拝人の集まる日です。
江戸の歳の市は浅草が最も古く 1659年頃両国橋がかけられた頃といわれています。 浅草の市は 日常生活用品に 新年を迎える正月用品が主になり 
羽子板もそれに加わりました。羽子板が今日のように一般に売られるようになるまでは
市が唯一の商いの場所でした。
 昔の女性たちはごひいきの役者たちの絵ががれた羽子板を現在のブロマイドのように大事に買い求めていったそうです。

古来より 女の子の魔除けの羽子板
お嬢さんの厄を引き受けるといわれる羽子板。
 
女の子が生まれて初正月には
羽子板をお飾りして お正月を
お迎えいたしましょう。

羽子板のQ&A」
なぜお正月には羽子板をかざるの?
 赤ちゃんが生まれて始めて迎えるお正月を「初正月」といいます。そのお祝いとして       
羽子板をおくります。地域によって異なりますが、ケース付き羽子板飾りでお祝いします。年のはじめに赤ちゃんが一年間病気をしないですごすことができるよう羽子板飾りに願いを託す日本の美しい習慣です。                           
                                       
なぜ、女の子には羽子板をおくるの?
羽子板は、女の赤ちゃんの無病息災のお守りです。羽根が病気を運ぶ蚊を食べてしまうトンボに似ていること、黒くて硬い羽の玉は、「子供が患わら無い」という意味の「無患子」の大木の種からできていることから、邪気を撥ね(羽根)除け、運気を  はね(羽根)上げると言う意味があります。                                
羽子板は誰がかうの?
赤ちゃんの祖父母や親戚、お仲人が贈ります。羽子板はその子のお守りですから、次女、三女がお生まれになっても一人ひとりに贈り、ママの羽子板のとなりに一緒にお飾りしましょう。